不定期更新「私基準でいろいろ書いてます。」

管理人が、私基準で読書やほか気になったこと綴ります。

子供の頃、肉が嫌いだった

私は子供の頃、肉が食べれなかった。経済的な理由ではなく、肉そのものが気持ち悪かったのだ。特にあの脂肪のぐにぐにした感触が気持ち悪く、つい最近まで生きていた哺乳類の断片かと思うと吐き気を催していた。

給食の肉が堅かったせいもあると思う。今でも給食の肉はまずかったと思う。でもそんな頃でも肉はご馳走と考える子が多数派だったと記憶している。信じられない気持ちだった。カレーのときは肉をよけて器に盛ってもらうのをお願いしたものだ。好き嫌いは駄目といって、わざと多めに盛るやつもいて、肉のある献立のときは憂鬱だった。

肉を頬張りうまーと口をあけて見せてくれる者もいて、そのたびに私は胃の中のものが逆流しそうになった。

時々机の中に肉を隠し、学期末の片付けでミイラ化した肉を発見したこともあった。わざと肉を床に落として靴ですりつぶすという技も使った。嫌いな物は牛乳と一緒に飲み込もうという先生の理論を呪った。

中学校は弁当であった。当然肉なしの献立にしてもらっていた。おかげでいよいよ肉に接する機会は無くなり、嫌いなものを食べさせられない自由を謳歌していた。このままいけば、私は一生肉を食べずにいただろう。

私以外の家族は肉を食べていた。家族で時々鉄板焼きに行った。コックが目の前で肉を焼くスタイルのあれだ。私は目の前でじゅうじゅうとステーキが焼かれているのを見ながら、別注文でハンバーグを食べていた。ハンバーグは私の定義では肉ではなく平気だった。家族はせっかくのおいしいお肉なのにと何度も肉を進めたが、私はハンバーグで十分満足していた。

しかし、中学生になっていた私は思春期を迎えていて、もう子供ではないことを証明すべく、物事に対して挑戦的あるいは冒険的な気分が芽生えつつあった。そして肉を食することが自分の目下の課題と考えるようになった。

あるとき、父親のステーキを一口食べてみた。煮た肉はそのぐにぐにしたリアル感でみるのも嫌だったが、よく焼いた肉はこげて変色して肉のリアル感が消え、また噛み切りやすくなっているようにも見えた。

まあまあ、高級な肉だったと思う。部位はロースかフィレだったのだろう。存外うまかった。口内で肉の脂肪と塩コショウが混ぜ溶け合う快感をはじめておぼえた。
食べ進めると余裕がでてきたのかご飯がほしくなった。油と塩分と炭水化物がおそろしく相性が良いことを知った

それを機会に私はその鉄板焼き店ではステーキ肉を注文するようになった。両親も喜んでくれていたと思う。最初はしっかり焼いてと頼んでいたが、いつの間にかミディアムレアになった。まだ小学生だった弟や妹が「半生だよこれ」といぶしがるのを尻目に、両親とともにそれを注文し好むようになった。

私は49歳になった。いま私は焼肉やステーキが大好きだ。ぐにぐにのしま腸も好物になった。

しかし肉じゃがはおいしいとは思わない。カレーの肉で堅いのは嫌いだ。入っていないかくたくたに溶けていてほしい。

焼きそばの豚肉は余計だ。ソーセージかベーコンがいい。お好み焼きの焦げたばら肉はスキだ。

しゃぶしゃぶはおいしいと思う。